働きがいのある企業、財務力の高い企業上位を維持する
中外製薬の人事戦略
中外製薬さんは、OpenWorkが実施した『社員が選ぶ「働きがいのある企業ランキング2022」』で3位、2022年「東洋経済財務力ランキング」で1位を獲得。今では多数の企業が注力する、タレントマネジメントシステムやダイバーシティマネジメントの導入ならびに推進、働き方改革といった人事戦略を、2011年ごろという早い段階から取り組まれています。経営戦略との接続も含め、臨まれた背景や課題、掲げていたビジョンなどを教えていただけますか。
上席執行役員 人事・EHS推進統括・矢野 嘉行(以下、矢野):中外製薬は1925年、関東大震災による医薬品不足を目にし「世の中の役に立つくすりをつくる」という思いから創業しました。1980年代には当時化学合成薬が主流の中、バイオ医薬品の研究開発に資源を投入し、よりグローバルな市場への事業展開を目指します。
そこで2002年、バイオ医薬品分野で世界をリードする製薬企業、スイスのロシュ社との戦略的アライアンスを開始。両社の強みを活かしつつ自主独立経営を行い、世界のトップ製薬企業になるべく経営方針を掲げました。
我々の経営戦略の根幹には「イノベーション」があります。「すべての革新は患者さんのために」という事業哲学の下、イノベーティブなアイデアで革新的な医薬品を生み出し、グローバルに展開していく。全従業員にそのような思いで仕事に取り組んでもらいたい、と考えたのです。
世界のヘルスケア産業のトップイノベーターを目指すために、社員の成長をマネージする「グロースマネジメント」の考えや、自律と成長にフォーカスした人事制度にすべく、取り組みを始めました。
当社では、イノベーションを創出し、社会に新しい価値を提供しながら成長を果たしていく上で、人が何よりの資産・資本であるとずっと捉えてきました。昔から、人材を「人財」と表記していましたが、最近注目されている「人的資本経営」の考えも同じように、自然と取り入れてきました。そして、人事戦略の根幹にも「イノベーション」がありました。
実現に向けては、経営、人事、現場が三位一体となり、以下3つの人事施策をセットで進めていくことで、グローバルイノベーター人財の育成を目指しました。
- ダイバーシティマネジメント
- タレントマネジメント
- 人事処遇制度
人事部 エンプロイーサポートグループ グループマネジャー・山本 秀一(以下、山本):タレントマネジメントには、考え方が大きく2つありました。ひとつは、トップ、リーダー人財や高度専門人財の早期発掘ならびに育成です。もうひとつは多様な人財が活躍できるための一人ひとりのキャリア開発です。
キャリア開発においては、中外製薬では1980年ごろからキャリア申告面接との施策で行っていました。しかし、以前は、営業職は営業職の中でのキャリア開発が主で、上司とのやり取りなども画一的でした。
ところが、ロシュとの提携などを背景に社員の様子に変化が生まれます。私はキャリア相談室の相談員をしておりますが、先ほど矢野が話したような、部門を越えてイノベーションを起こせる人財を目指すための相談内容に変わってきました。このような背景もあり、タレントマネジメントシステムの導入に際し、キャリア開発の内容も刷新しました。
矢野:それまでの一律的な育成スキームを刷新し、一人ひとりの従業員の仕事の様子や、考え方をマネジャーは把握する。その上で本人が望むキャリアの実現に向けて、マネジャーは育成していこう。そのような風潮が、次第に広まっていきました。
以前からもキャリアを大切にする風潮はあったものの、部門内での育成に限られていた感がありました。というのも、優秀な人財が他の部門に移ることは、どの上司も必ずしも好んではいませんでした。
しかし、世界のトップ製薬企業になる、グローバルイノベーター人財を育むという明確な経営戦略を掲げていたことで、部門ではなく中外製薬に必要な人財という視座で、各マネジャーがキャリアについて考えるようになり始めました。マネジャー同士が議論するようなカルチャーも、このころから醸成していったように思います。
日本企業の多くはいまだに縦割り、部門ごとで人材育成も含めて事業を進める傾向が強いと思います。一方で中外製薬さんは今から10年以上前から事業部横断で、人事戦略を進めてこられたと。ただ正直、課題やトラブルも少なくなかったのではないでしょうか。なぜ、推進がうまくいったのか。どれくらいの期間で成果や手応えを感じたのか、お聞かせください。
矢野:トップがしっかりとコミットメントした上で進めていったことが、大きかったと思います。タレントマネジメントシステムであれば、部門内でまずは人財開発会議を行い、次のステップでトップマネジメントも参加する全社的人財開発会議を実施しています。
施策導入は2011年からでしたが、部門横断的な育成・配置に関しては議論の大きなテーマの一つとなりました。しかし、とにかく経営がコミットしながら、一人ひとりの社員ならびに会社のカルチャーを変えていく。そのような意識改革が必要だろうと。
課題が出たら経営も含めて徹底的に議論し、解決策を導きだす。このような地道な取り組みを繰り返していきました。4~5年ほどかけて徐々に定着していったと聞いています。
ダイバーシティマネジメントも同様です。ロシュではすでに多様な人財が働いていました。一方で我々は、そうではありませんでした。そこで、女性や年齢、国籍といった属性をまずは多様にする取り組みから着手し、女性マネジャーの割合も具体的な数値目標を掲げました。
すると今度は、男性社員から「なぜ、目標を定めるのか?」といった不満の声が上がりました。一方の女性社員からも「ロールモデルとなる人財が稀有であり不安」との声が聞かれました。
そこで、各部門にダイバーシティについてディスカッションできる、フォーラムのような場を設け、ここでも現場の社員と経営層が議論や対話を重ねることで、どのようなダイバーシティマネジメントが、中外製薬らしいのか、イノベーションを興すといった戦略を実現するために必要なのか、マインドも含め4~5年ほどかけて次第に醸成していったように思います。
トップ製薬企業になるという事業目標が浸透しはじめた2014年の12月、「創造で、想像を超える。」という新スローガンを発表しました。これは、イノベーションという経営戦略の根幹を全社員に改めて浸透させるためのもので、イノベーションによる創薬こそ、中外製薬のミッション(存在意義)であるし、イノベーションの先にグローバルトップ企業があると、改めて全社員に理解してもらいたいと考えたのです。このような取り組みを続けた結果、イノベーションに拘るマインドは次第に浸透していきました。
実際、どのようなイノベーションが実現しましたか。
矢野:それまでの日本の製薬企業の多くは、化学合成で製造する分子領域の創薬の取り組みが大半でした。対して我々は、まさにイノベーティブな発想のもとバイオテクノロジーを活用した高分子領域、抗体医薬品を創薬しようと考えました。
一人ひとりの従業員が考えた上で取り組んだ結果、バイオ・抗体の領域でトップレベルの企業となり、オンコロジー(腫瘍・がん)領域では、国内シェアナンバーワン企業に成長しました。
一方で、その当時掲げていたトップ製薬企業とは、財務的な内容だけではなく、むしろ、生産性やイノベーションという定性的な面を大切にしていました。例えば、血友病に効果のある治療薬の開発です。こちらの創薬も抗体技術を用いていますが、全世界でも患者さんの数は少ない疾患です。
けれども、「すべての革新は患者さんのために」という事業哲学、「革新的な医薬品とサービスの提供を通じて新しい価値を創造し、世界の医療と人々の健康に貢献します」というミッションに基づき、開発が進められてきました。このような患者さんを中心としたマインドが浸透していたからこそ、社員はチャレンジし続けることができ、結果としてイノベーションを起こすことができたと考えています。
「自律人財」の育成にフォーカス、働きがい改革を推進
2021年の2月からは新たな成長戦略「TOP I 2030」を発表。人事戦略に関しても、さらなる野心的な取り組みや目標を掲げています。どのような背景や意図から同戦略を設計し進めているのか、狙いなどを教えてください。
※2019年策定の 3カ年の中期経営計画「IBI 21」を、定性・定量面の目標を 2年間で達成したことにより、1年前倒しで終了し、2021年2月に、新成長戦略「TOP I 2030」策定・発表。現在、「世界最高水準の創薬の実現」と「先進的事業モデルの構築」を二つの柱とし、5つの改革を通じて 2030年に掲げるトップイノベーター像の実現を目指している。
※基本方針
※2030年に到達するトップイノベーター像
※2030年トップイノベーター像実現に向けた新成長戦略
※成長戦略実現に向けた5つの改革
矢野:基本的な考えは、「世界のトップイノベーター企業になる」です。一方で、より早く、より良いイノベーションを起こすにはどうすればよいのか。これも繰り返しになりますが、経営、トップがコミットして2年ほど前より議論を重ねました。
議論の結果、これからはますます「個人」の自律と成長が必要だという結論に至り、経営戦略にその考えを反映しました。戦略で掲げた「I」は「イノベーター」「私=I」との2つの意味が込められています。中外製薬のイノベーションの源泉であり原動力は「人」であることを改めて定めた上で、人事戦略ならびに各種人事制度を刷新していきました。
これまでとの大きな変更点は、ポジションマネジメントを導入したことです。経営戦略の実現を可能にする組織ならびにポジションを定義・設計し、その上で、ポジションに必要な人財を全社からアサインする「適所適材」の考え方になります。従って、社内人財の登用・育成に限らず、特定領域に精通した高度人財などは、積極的に外部から受け入れることとしました。実際、キャリア採用にも力を入れており、新卒・キャリアともほぼ同人数となっています。
ポジションを明確にするに伴い、ジョブディスクリプション(以下、JD)も作成しました。適所適材、ジョブ型人事制度へと移行し、2012年から取り組んできたタレントマネジメントとポジションマネジメントの融合を推進しています。
矢野:一方で、人が資本の根幹であることは変わりません。そこで今回の成長戦略では特に「自律人財」の育成にフォーカスしました。まわりや上司から言われたり指示されたりする前に、自ら課題を見つけて戦略を設計できる。さらにはまわりを巻き込んで、課題解決やイノベーションを率先して起こせる。このような人財を育む風土の醸成ならびに、実践している社員を応援するための人財育成や人財マネジメントの仕組みを整えていきました。
特に、マネジメントに関しては、直接指示型から自律支援型のマネジメントへの転換を進めています。まさに本コンソーシアムのテーマ、キャリアオーナーシップにも重なっていると言えると思います。
山本:各部門のメンバーが設計したJDには、人財要件、経験、スキルといった内容が可視化されていますから、社員は自分が目指すべきポジション、キャリアと現在の経験やスキルを照らし合わせます。
その上で足りない要素が出てきたら、自ら学べるようにとeラーニングプラットフォーム「I Learning」を構築。自ら課題や目的を見つけ自律的にチャレンジしていく。そのような人財が増えるような制度設計を心がけました。
矢野:もうひとつ、今回の人事改革でのポイントはまさにダイバーシティ。年齢や属性、現在のポジションや経験など関係なく、本人に意欲があり、資質が備わっていればどのポジションでもアサインできる内容にしたことです。
これまではマネジャー職に昇進するには年齢条件などの縛りがありましたが、昇格試験とともに廃止しました。シニア層も同様で、55歳と定めていた役職定年も廃止しました。そのため60歳を超えていてもやる気と資質があれば、マネジャーとして働くこともできます。
当然、年齢や属性に関係なくポジションに見合った報酬や権限が与えられます。極端に言えば、入社数年の方でも実力が伴っていれば、マネジャーにアサインされるわけです。ポジションマネジメントと、従来からあるタレントマネジメントシステムを相互連携することで、人財ならびにポジションの新陳代謝を促していきます。
まさにこのような取り組みが、働きがいのある企業ランキング、財務力ランキング上位という成果に現れているのですね。具体的には、社員の働きがいなど定量化しているのでしょうか。また、施策の解像度がとても高いと感じました。どれくらいの時間をかけて、設計されているのでしょう。
矢野:従業員の意識調査は2年に一度行っています。「社員エンゲージメント」、「働く環境」の2軸で調査を実施していますが、グローバル企業とのベンチマークから約6割の従業員が自発的・能動的に行動している状況を目指しています。
制度設計に関しては、相当な時間や労力をかけていて、何度も練り直すことも少なくありません。設計する際に意識していることは、ロジックとメッセージを同時に伝えていくこと。「どのような言葉や表現で伝えれば、社員は理解してくれるのか」を考え、制度の目的を理解し浸透することが、結果として解像度の高い制度や施策になっていると考えています。
一人ひとりの自律を前提とした、
個人・会社両者のコミットメント
改めて、中外製薬さんの考えるキャリアオーナーシップ、個人と企業の理想的な関係性、本コンソーシアムに期待することを教えていただけますか。
山本:キャリアオーナーシップとは、会社のビジョンや目指すべき姿と自分自身を照らし合わせることだと思っています。その上で実現に必要なスキルや知識、方向性をどうやったら身につけていくのかを考え、自発的に動いていける。そのような意識や行動だと考えています。
矢野:一人ひとりの社員の自律を前提として、会社と社員両方が対等なパートナーとして、双方のコミットメントを果たす。これが、中外製薬が目指すべき個人と会社のあり方であると考えています。
企業はそのような個人の自律やコミットする尊重する。その上で、各種制度や公正な評価や処遇、安全衛生やメンタルヘルスも含めた健康管理の徹底といった環境の構築を行う。このようなお互いのよき関係性、オーナーシップを構築することで、両者がさらなる成長を実現していく。これがキャリアオーナーシップのベースだと考えています。
山本:一方で、変化についていけない、自律的に活躍人財になろうとしない社員がいるのも事実です。本コンソーシアムに参加すれば他社さんの事例などを通じて、何かヒントが得られるのではないか。このような期待もあり参加を決めました。
実際、コンソーシアムではどのような策を打ったり風土改革を行ったりすれば、キャリアオーナーシップ人財が増えていくのか。ひいては、日本全体にそのような人財が増えた企業が広まってくのか。参加企業がともに議論しており、よき学びの場となっています。
矢野:個人一人ひとりがキャリアオーナーシップの考えを持ち、仕事に取り組む。結果として所属企業はもちろん、日本全体が強くなる。これこそがグローバルで勝負する際に重要なことだと考えています。一方で、一企業の努力や議論だけでは限界があります。コンソーシアムを通して、キャリアオーナーシップ人財を輩出するためのさらなるヒントを得ることができれば、と考えています。
構成:杉山忠義・杉本友美(PAX)
企画:伊藤 剛(キャリアオーナーシップ リビングラボ)