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キャリアオーナーシップとはたらく未来研究会(第1期)

第3回 第2部:楠木建氏と語る、逆・タイムマシン経営論からみる人事戦略

2021.08.02

研究会

2021年6月15日、4月より発足した「キャリアオーナーシップとはたらく未来コンソーシアム」の第3回 研究会を開催。第3回研究会では、独立研究者・山口周さん、一橋大学大学院 経営管理研究家 教授・楠木建さんをゲストに、コロナ禍における戦略人事のあり方や、日本企業の人事における課題についてインプットを行いました。

記事では、第3回研究会の濃密な議論の様子を2部構成でお届けします。第2部は研究会の後半の様子をご紹介、楠木建さんをゲストにどんな話が研究会で繰り広げられたのか、内容をご紹介します。

「キャリアオーナーシップとはたらく未来コンソーシアム」研究会について
当コンソーシアムは、「個人の主体的なキャリア形成が、企業の持続的な成長につながる」という考えの下、業種や業界を越えて「はたらく個人と企業の新しい関係」を模索する企業8社が集まり、個人と企業が互いの成長に貢献し合う関係性へ変えていくために、研究会や制度の実践・実証といった活動を行っています。研究会では、有識者をゲストに招くインプットの時間と、参加企業がそれぞれの知見やノウハウを共有するアウトプットの時間を織り交ぜながら、キャリアオーナーシップ人材を育てるために何が必要なのかの掘り下げを行っています。

楠木 建 教授 プロフィール

一橋大学大学院 経営管理研究科 教授
1964年東京生まれ。専攻は競争戦略とイノベーション。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学同学部助教授、同大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。1997年から 2000 年まで一橋大学イノベーション研究センター助教授を兼任。1994-1995年と2002年、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授を兼任。著書として『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)、『経営センスの論理』(2013、新潮社)、『戦略読書 日記』(2013、プレジデント社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください――たった一つの「仕事」の原則』(2015、ダイヤモンド社)などがある。

INDEX

    楠木建教授が語る「逆・タイムマシン経営の発想で人事の本質を考える必要性」

    しばらく前に逆・タイムマシン経営論という本を書かせていただきました。タイムマシン経営は、ソフトバンクの孫正義氏がよくおっしゃっている言葉です。シリコンバレーなどに行けば最先端の未来のテクノロジーは既にあるので、それを日本に持ってきて事業にするというのが、タイムマシン経営のアプローチになります。

    では、その逆を考えたらどうかというのが「逆・タイムマシン経営論」です。過去は現在に至るまで連綿と繋がっています。日々メディアからは様々な情報や言説が刷新されていますが、そういう話ほどステレオタイプ的なものの見方が入り込んでいて、受け手がバイアスを掛けられた状態になります。これを僕は「同時代性の罠」と呼んでいます。

    一般的には情報は鮮度が高いほど価値があると思われているのですが、一旦10年ぐらい寝かしていると味わいやコクが出てくるというのが「逆・タイムマシン経営論」の趣旨なります。時間の経過によって、同時代のノイズが除去されて本質的な議論が見えてきます。

    では、本質とは何でしょうか。私が考える本質とは「そうめったに変わらないもの」です。これまでの変化に満ち満ちた歴史がある中で、一貫して変わらないものっていうのが見えてくる、これが本質です。

    例えば、過去60年間、ずっと仕事が無くなるって言われ続けて現在があります。1960年代には「オートメーションで人のする仕事がなくなる」と言われていました。その後は、コンピューターでなくなる、ロボットでなくなる、AIでなくなる、という話が繰り返されています。その割にはみんな、まだ仕事があって働いていますよね。

    こういうのを見ていると、ITが一見「新規性」や「即効性」を発揮するものであるかのように見えるところがトラップになっているのが分かるわけです。実態は、オートメーションしかり、AIしかり「手段の目的化」が起こっているにすぎないのです。

    例えば、DXというキーワードについて考えてみましょう。企業の目的は長期利益の獲得です。DXは長期利益を獲得する手段としてすごく重要と言われていますが、大前提としてまずは「どうやって利益を獲得していくか」という戦略ストーリーが重要なわけです。

    DXや働き方改革などの手段は、そのストーリーの中に位置づけて初めて意味を持つものです。そして極論ですが、全くDXや働き方改革をしなくても会社が儲かるなら、やらなくても問題はないのです。ただし、やっぱり大きな会社の方にこれを言うと、担当者は嫌な顔をします。なぜかと言うと、この人達はDXを推進することが目的化しているからです。

    結局のところ、起きているのは「文脈剥離」じゃないかという風に思っています。「文脈剥離」とは何か。例えばある映画作品がヒットして、その中に、人々の印象に残るフレーズがあって人々の心を捉えたとします。そこで仮に、他の作品の中にそのフレーズを混ぜてしまうとどうなるでしょう。一体何を言っているのか、意味が分からなくなります。その現象が「文脈剥離」です。

    今起きていることは、このようなメカニズムだと思っています。例えばすごい成功事例があるとして、その中にたまたま存在する要素が剥がされて、メディアが紹介することがあります。そうなると、その要素を飛び道具にしてビジネスにするサプライヤーが過大評価されていきます。これが必須だ、とか、これに乗り遅れてはいけない、とか、煽られていくわけです。

    そうすると、元々の文脈がひっぺがされて、DXや働き方改革といった「飛び道具」が過大評価をされてしまうのです。そして、自分たちの商売に取り込んでみても、違う作品に他の作品のフレーズを引っぺがしてもっていくのと同じように、かえって企業が元々持っていた一貫性が崩れてしまい、組織全体のパフォーマンスが下がるということが起きたりします。

    僕の見立てだと世の中の問題の7割はこの「文脈剝離」から起きていると思っています。そして、この手段の目的化について、どういう人がハマりやすいのか考えてみると、下手に勉強熱心で情報感度の高い人ほどハマりやすいのです。

    あとは忙しい人もハマりやすいです。小さなスマホ画面で次から次に情報を取っていくと背後にある文脈にまでたどり着けないわけです。それから、せっかちな人や行き詰っている人ですね。一発で局面を打開する、すぐに効くものはないかと、即効性のある飛び道具を探している。こういう人ほどハマりやすいです。

    そして、特定の領域専任の担当者が、実はこの罠にとてもハマりやすいのです。特にITやHRなどの専門性が高い分野の担当者ですね、自分の担当領域のことで頭がいっぱいで、そもそも、自分たちの会社の商売がどういう戦略ストーリーで稼ごうとしているのか、そこまで目がいかないので、文脈を無視して飛び道具を持ってきてしまうのです。

    更に言うと「代表取締役担当者」即ち「チーフエグゼクティブ担当者」とでも言うべき経営者の方の存在ですね。情報の感度は高くて勉強熱心だが、商売全体が見えてない「領域専任担当者」と、危機感は持っているが特段の戦略は無い「代表取締役担当者」とが組み合わさると最悪で、その飛び道具トラップに、よりハマりやすくなってしまいます。

    ここに「日本的経営が崩壊している」っていう雑誌の見出しがあります。こんな話をみなさんもよくお聞きになると思うのですが、この見出しは実は45年前の日経ビジネスからの引用です。半世紀にわたって崩壊し続けているのに、まだ崩壊していないって、どれだけ日本的経営は盤石なんだっていう話ですよね。

    そもそもの問題は、日本的経営と言っているのが、あまりにも定義が緩くて、何をもってそう言っているのかが見えないことです。

    例えば「年功序列」や「終身雇用」のことが日本的経営の象徴としてよく言われます。しかし、これって非常におかしな話でして。

    実は戦前の新聞をみると「アメリカの企業に学べ」って言われていました。その当時の記事を見ると、アメリカは事実上の終身雇用であり、一つの大きな家族経営だから、産業の蓄積が進んで、モノづくりがうまくいくと言われていたわけです。

    じゃあ当時の日本的経営は何なのかというと、ちょっとお金がもらえると、みんなすぐ転職していく。だから会社に技能が蓄積しない、みんなが短期的な利益を求めてバタバタするので日本的経営は駄目なのだって言われていたのです。今言われていることと、ちょうど真逆ですよね。

    何が言いたいかと言うと、年功序列や終身雇用が日本の文化かっていうと全然そうじゃないのです。そして100年も続かないものは、文化と言わないのではないでしょうか。

    ちょっと昔ですが、いくつかの企業が「成果主義」を打ち出した時に、見直すべきだった「年功序列」を変えていなくて、その結果、悪いどころ取りみたいになってしまう事例がありました。これは別に成果主義を行うのが早すぎたのではなく、「文脈剥離」を起こしていただけじゃないかと思っています。

    最近のホットトピックであるジョブ型もそうです。そもそも年功序列、メンバーシップ型は、例えて言うと「HR戒厳令」だと思っています。つまり、ある特定の状況で異常に有効性が高かった。年功序列、メンバーシップ型は、透明性が究極に高く、評価コストが究極に安くて、その結果、日本企業は大成功したわけですから、ある意味で戦後復興から高度成長期頃の二十世紀の経営イノベーションと言っていいと思うのです。

    ただし、これはあくまで一時的な「戒厳令」なので、状況が変われば全く話は変わってきます。

    ジョブ型への移行が進み、就社から就職という考え方が労働市場で入ってくると言われています。中央集権的な命令ではなく、公募で人が動いていくわけです。けれど、仕事に人が募集して集まってくるというのは、全く自然な話だと思いませんか。むしろ、普通の仕事、普通の雇用ですよね。

    今の時代、本当に情報は溢れかえっています。けれども、ファストメディア全盛の時代の中で、情報を受け取る際に、「これはなぜなんだろう」というロジックが抜け落ちてしまっているわけです。

    読み手側はニュースや情報をサクサクと読みますし、供給するメディア側は、タイトルにバズワードを散りばめたり、一番人がぱっと注目する「危機感」で煽ろうとしたりします。特に、メディアがオンライン中心になると、ページビューが可視化されて、商業メディアは出来るだけ多く読まれなくてはいけないので、どんどん煽ってきます。そんな世の中の風潮とメディアの状況が、悪い意味で噛み合っているのかなと思います。

    こうなると「何かを知っている」っていうだけではもう意味がないのです。大事なのは「本質を見極める能力」です。そうなるとますます、過去から残る「本質」から学ぶ「逆・タイムマシン経営論」的な考え方が、ビジネスパーソンにとってより求められるのではないかなと思います。

    投資の神様であるバフェットさんがこうおっしゃっています。「我々が歴史から学ぶべきは、いかに人々が歴史から学ばないかという事実だ」。全くその通りだと思います。

    改めて、特に人を相手に仕事をしている人事の方は、スローメディアと向き合うべきじゃないかなと思っています。もちろん、良い本を読むっていうのが、いつの時代も王道なのですけど、かつてはファストメディアだった新聞雑誌の記事が、10年、20年寝かせておくだけで、本質を考えさせてくれる非常に上質なスローメディアに熟成されていくわけです。

    今皆さんに、半年前のもので良いので新型コロナの記事を是非今読んでみてくださいと、強くお薦めしたいです。早くも良い味を出しています。何が本物で何が偽物か、何が本質なのか、人間の社会って何なのか、それをすごく教えてくれます。

    やっぱりみんな未来が気になるのですが、大事なのは、過去に戻って未来に向かっていくことです。要するに「大局観を持ちなさい」という話ですね。「逆・タイムマシン経営論」は、この大局観を培うための、私なりの答えとして考えてみたものです。

    人間の本質をとらえることの重要性

    (当研究会ファシリテーターから質問・法政大学 田中研之輔教授)コロナを経て、戦略人事を考えていくうえで、どのポイントに大局観を据えれば良いでしょうか。

    楠木建:ファクトフルネスという言葉がありますが、それに引っ掛けて言うと、私が言っているのは「パストフルネス」です。誰も未来は正確に予想できないですけど、過去というのはそれ自体が確定した事実で、本当にものすごく重要なファクトがぎっしり詰まっている訳ですし、人事に関わることは、既にたくさんのファクトがあります。

    本質をつかむためには、今考えているようなことについて、過去にどのような議論がされているのかをデジタルアーカイブで検索してみるといいと思います。使われているワードがその時々で違ったりするのですが、大体同じことを言っているワードがあると思うので、試しに検索して、パラパラと眺めてみると「なるほどね」って感じることが結構あるのではないかと思います。

    結局、人間なので本質というのは変わらない訳です。そして人事のお仕事は、人間の本性を見抜いて、その本性を鷲掴みでやっていくということが大切なんじゃないかと思います。色んな新しい変化が起きていますけど、変わらない人間の本性を捉えているものが、いいものだと思うからです。

    働くというのは本質的には価値交換なので、その人が組織に何かを提供できて、組織がその人に対して対価を支払うというものです。対価は経済的なものだけじゃなく、例えば働く場であるとか、様々なリソースも含まれます。

    その中で、トラップを含む飛び道具要素は「ジョブ型」や「ジョブディスクリプション」です。

    ジョブディスクリプションが明示されるようになると、その人が自分のスキルをきちんと定義して、会社の方も必要なスキル要件を事前に定義して、そこでマッチングしていくことになります。ただ、普通に考えて、その人が「自分がやりたい」と思っていることや、能力を発揮したいと思っていることに関して、専門スキルとして落とし込めることが、そんなにたくさんあるのかなという疑問があります。

    結局、本質的なのは、スキル云々と言うよりも、その人にとっての「好き・嫌い」という話です。何事も、好きなことに没頭してやっている方が当然うまくなるし、成果が生まれます。その観点は、雇用する側としてもとても重要なことだと思います。

    「好き・嫌い」の文脈で考えると、機能とかスキルとか専門性という文法・言語にうまく乗っからない要素が出てきます。例えば、僕の個人の例で申し上げると、僕は謝るのがとても得意です。組織を代表して謝るというのがあんまり嫌いじゃないんですよ。なので、組織として失敗したときに、誰かが行かなきゃとかいう話をしているとみんな僕の方を見るんですよね。

    大学で働いていても、時々営業の仕事があるのですが、僕は割とそれが好きで、特に飛び込み営業が結構面白いんですよね。

    じゃあ、これらの「好きなこと」を、ジョブディスクリプションに、機能、専門性としてどう書くのかという問題があります。そういう「好きなこと」って必ず誰しもあるはずで、そのレベル感で人間のやりたいこととか能力とかやりがいみたいなものを、きちんと織り込んで人を採れるのか、人を配属できるのか、評価できるのか、こういうのが今後新しいこととしてあるべきだし、そういう会社の方が生産性が高くなるのではないかと思っています。

    職務経歴書などに書く内容は「私はこれができます」「これをやりました」という話が多いですよね。けれども、本質は、その人が死んだ時にみんなが葬式でその人に対して言うことだと思うのです。あの人ってこういう人だったよね、っていう。葬式での言葉は、スキルでその人を定義してないと思うのですよね。

    例えば、うちの職場に、すごく頼りにされている事務員の方がいます。その人は、物事を整理するのがすごく好きなんですよ。自分の机もとても整理されていて、そういう人に工程管理をやってもらうと、無駄の排除が好きなのですごく上手なんですよ。けど、別にその方は工程管理の専門家ではありません。無理やり機能のカテゴリーで理解すると「ただの事務職員」なんですよね。

    そんな風に改めて考えてみると、機能・スキル・専門性という言語文法を超えたところに結構人材の価値があるのではないでしょうか。HRテックも色々ありますが「好き嫌いテック」みたいなものも可能性があるかもしれないと思っています。

    (参加者質問)価値観が多様化しているせいか、世代に限らず、社員と会社との間の「共通言語」が見つからなくなっている印象があります。社員と共有できる価値観を企業が見つけるためのヒントは何かありますか?

    楠木建:一言に働いている人って言っても本当に人それぞれですよね。それぞれの生活があって、本当に個別性が高いですから、共通のものというのはなかなか考えつかないです。

    1人1人がどういう人生を送りたいのか、どういう生活をしたいのか、そういうことを話してもらうのが、私は大切だと思います。特にフォーマットを持たずに、どういう人生を過ごしたいかを問いかける。話す側だってあまり分かっていない、特に若い人はそうでしょうけど、やっぱり話をしてもらうことによって、本人も意識することがあると思うのです。

    ワークライフバランスっていうものすごくバランスの悪い表現があるのですけど、どう考えても、ワークとライフは対立軸ではなく、ライフの中にワークがあります。ワーク・アズ・ア・パート・オブ・ライフということです。

    重要な前提は結局、人生においては「しょせん仕事だよね」ということです。「しょせん仕事」なんだとしたらあなたは、どういう生活をして、どんな人生を歩みたいのかということをストレートに聞いてみる、そのようなコミュニケーションが非常に大切だと思います。

    キャリアオーナーシップという観点で言うと「そもそも、自分以外の誰が自分のキャリアのオーナーになりうるのか」という問いかけは大事だと思っています。自分以外の誰かがオーナーであるというのは、前提として本来おかしいですよね。

    人間は、全員が絶対に自分は幸せになりたいわけで、自分以外の誰かがオーナーになるのが直感的に嫌なことだと思うのは、人間の本性に則した当たり前の話だと思います。

    日本でもそれなりに労働市場の流動性が高まっていますし、この10年ぐらい資本市場からのプレッシャーがより強く働いているので、日本の企業の生産効率は、それなりにですが上がってきた訳です。

    かつての成果主義・ジョブ型雇用と今で違うところは、いよいよ今、労働市場が、働き方に関して、ある種の規律を与えるような時代になってきていると思います。これが非常に良いことだと思うのは、会社と従業員が対等な「イコールパートナーシップ」でちゃんとやっていないと、働き手が会社からいなくなる状況になってきているんですよね。

    かつての戒厳令の名残みたいなもので、一度雇ったら会社が一生面倒をみなければならないという前提がありましたけど、今は逆の状況になっていて、ジョブ型雇用を進める上では、だいぶいい状況ではないかと考えています。

    一方で、これを「変革」とか「挑戦」という風にあまり言わない方が良いと思っています。むしろ、今までの「戒厳令」状態が普通ではない状態だったわけですから。これからは、働く人たちが、普通に納得できる、普通の状態になっていくという話です。

    ここから先は、経営の個別性がますます高くなり、唯一のベストプラクティスがあり得ない状況になると思うのです。

    だから、それぞれの会社が自分たちに合った形で、もっと大胆なことをやっていいと思います。例えば、私がぱっと思い付く限りで、こういうことやったらいいのではないかと思うのは、ボーナスを社長から新入社員まで単純頭割にすればいいんじゃないかということです。その方が人間の本性に合っていると思います。

    みんなで仕事をやって、なんやかんや利益が生まれたでので、利益の何パーセントを原資にするかをはっきり決めて、単純に従業員全員で頭割にしてしまう。職責によって給料や年俸に違いがあるのはいいんですが、ボーナスはみんなで頭割にすれば良いんじゃないかなと思うんですよ。

    ところが、もしこれを例えば外資系の金融会社なんかでやってしまうと、即時みんなで退職してしまいますよね。個別性が高いというのはそういうことで、会社によって最適なやり方は変わってくるわけです。

    これはあくまで例えですが、自分達の会社において、何が一番自然なのかを考えて、昔作られた仕組みを見つめ直してみると、「こうすればいいのかもしれない」と合意形成が社内で取れるようなことが、いくらでもあるのではないかと思います。

    構成:河原あずさ・西舘聖哉(Potage)

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